2009年7月 8日 (水)

OLD DAYS J-pop

結構好きなものにはこだわる

だから音楽の趣味は視野が狭い

いま宵のひとときを自室で 山下達郎 聴いている

そういや最近達郎さんの曲は聴いていなかったなと思いつつも…

あの人の人間性というものは勢いがあって小気味良い

なんか凄く生意気な人、でも日曜のFMではリスナーへの配慮を欠かさない

まあ、あれだけ歌唱力もあって、作曲も出来て、何よりアレンジャーとしてとてつもない天才的な能力のあれば生意気になるのも当然かもしれない

でもそれは達郎さんに対して失礼な見解とも思う

アーティストというのは評価の前に個性があって、元にある達郎さんへの侵害だと思った

故人となって二十年近く経とうとしている 尾崎豊はリアルタイムでは大っ嫌いだった

なんか不良の立場で好き勝手な生き方をして勝手に自業自得で死んだ人と思っていた

でも現在はとても支持出来る

彼は生前様々な葛藤、感性が豊かな上での苦しみを抱えて

やり場の無い 幸福とは縁遠い人生を歩んでいたとyoutubeとかのドキュメンタリーで嫌というほど知った

あの人は音楽業界ではとても礼儀正しい人だったという伝説が残っている

あの人の音楽からは癒し以上の勇気をもらえる気がする

でもそのほとんどの楽曲があの人の抱えた苦しみがストレートに放出されている

人間、個性というものはとても大切なのかもしれない

なんか強烈な個性を持った人はリアルタイムでは結構見かけるが

僕は何かそういった人を羨ましく思えて仕方が無い

自分は 若年齢にさかのぼるほど

強烈な生き方をしていた

人との衝突も少なく 一見いい子だった

でも劣等性だった

何かとてつもなく学習とスポーツを中心としてものすごい劣等感を蓄積させいいっていた

小学生の頃は一見初対面では勉強がよく出来てて利発な子には見えていたらしいが

実際僕の本性が露になると あいつはバカだとか言われて

コミュニケーションの面で自閉性が若干あったのでどんどん友達は離れていった

テストなどの回答に、 どうしてその枠の中に 世のなかにはたくさん言葉があるのに

ひとつだけ合ったものを書き込むのは不可能だと先生に苦情をこぼすとあきれられた

思春期 SF小説にはまっていたのは現実逃避だったと思う

通常の小説をそれほど読んでいないのに 突然SFから文学に入ると

かなり価値観は支配されてしまった

まず道を歩いていても ここは地球という球体の上だといつも意識していた。

もしかしてこの世界はすべて滅んでいて

自分以外の世のなかの人間はすべて精巧につくられたアンドロイドで

自分は孤独を感じないために機械システムの取り計らいで生きている世界唯一の人間ではないかとふと想像した。

音楽の話に戻る

YMOは大好きだったが

今聴くととても頭が痛くなる

人間は誰も旅をしている

同じ街に定住していても

銀河自体回転していて

太陽系自体地球の位置は季節によって違う

一年を時計の文字盤と重ねて捉えるのは自然かもしれない

今の季節は一番南に近い空間を僕たち日本列島というか地球は

回遊している

12月辺りは一番高い場所に僕たちの地球は旅をしている。

実際は方向は正しくないが

呉の中心部から 川原石に向かった先にアメリカ大陸があって

灰が峰の方向の先は南太平洋

実際はちがう

でも僕の頭の中のイメージでは世界はそう位置付けられている

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2009年7月 5日 (日)

DVD「7月4日に生まれて」

ふとGEOで手に取った

この映画に関しては予備知識は少しあったが

じっくり鑑賞していなかったため購入した

純粋に戦争といった状況に人生を翻弄されて生きる人生というものについて

リアルに伝わってきた

自分たちの日常些細な悩み、人生の挫折など何を甘えているのかと

自分への戒めとなった

それと同時に 天国と地獄について考えた

どちらも単独では存在できないものなのだなと感じる

冬に気温が下がって 寒さという地獄

しかし暖房に当たるという極楽

寒さという地獄が最初から存在しなければ

暖房の在り難さは何の意味も持たない

生まれてから苦しいことばかりだと その人にとってはその環境は地獄ではなく普通な環境なのだ

楽しいことばかり続いている人生を歩んでいる人には

又一ついいことがあっても それについて正直嬉しいと思わないだろう

要は この映画の主人公は戦争によって身体障害者になりながらも

多くの葛藤や自暴自棄を経て

価値観の勉強をしていく

映画のラストで彼は著名人としての地位を手に入れ

彼の反戦の訴えに多くの聴衆が沸き立つというハッピーエンド

話は変わる

僕の母の兄 伯父だが生まれたときからの全盲の視力障害者です

伯父はものを見たという記憶が全くありません

彼は、目が見えないことは不便と感じるが

不幸だとか 苦しいと思ったり言ったことは一度も無い

彼はマッサージの仕事を大分前に高齢ゆえ引退したが

今は仲間を作って人生をエンジョイしている

彼は限られた職種に就きながらも一生を通じてある程度莫大な資産を築いた

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2009年7月 4日 (土)

にわかにエヴァンゲリオン

新劇場版を昨日テレビでやっていた

以前の劇場作と流れは一緒だがじっくり見せていて

映像も一から作り直してクオリティはかなりのものだった

エヴァというと、直接関連はないが

個人的にネットの在宅ワーク支援関連からグラフィックの仕事をもらったのが今年はじめ

とにかく在宅支援ではなく、CGの壁紙配布サイトに作品を登録しておいたので

それを通じてかなり大掛かりな仕事が舞い込んできた。

コンピューターグラフィックスでインディーズバンドを象徴したロボットを画像構成する仕事

しかもクライアントが求めているのはイメージとしてエヴァに近いものだった

それらについては秘密事項として現時点でここまでしかいえないが

アマチュアとしてパソコンで画像を作っていた僕には大舞台が用意されたわけだ

現時点で計画商談は進行中だが 情報公開は来年まで凍結となる

とクライアント側との関係上あまり情報公開は慎まないといけないので

ここまで

でエゥ゛ァについてプラモショップ等でデザインを研究してみた

あのアニメの基本デザインをやられた方は山下いくと さんといって

かなり分かりずらいコミックをゲーム系コミック誌に連載をされていた方だった

とにかく流行といったものに異常に敏感に反応するようになった昨今

やはり年齢的に感覚が古くなるのを怖れている感は心の隅にある

仕事が続けてもらえたとしても僕の僕なりの小規模なものでしかない

それでも非商用のアマチュアとは違う

その辺を感謝して

将来に対してどのようになっていくか全く不透明

チャンスといったものをうまくレールに乗せないといけない

その辺が正念場だ

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2009年6月24日 (水)

ターミネーター4観た(ネタバレ注意)

ターミネーターシリーズはこれまでどちらかというとそれほど好みのシリーズではなかったのだが。今回大幅にイメチェンしているらしい予告を伝に観にいった。

今回のターミネーターはシュワちゃんから一転してベンアフレックじゃないけれどそれとよく似たイケメンターミネーターが登場した

しかも物語りはその機械人間の視点から描かれている。

物語の軸は人間の反乱軍のリーダージョンコナーとターミネーターとの交流だが

偉くなったジョンコナーはどこかとっつきにくい

むしろ今回のターミネーターのほうに感情移入してしまう構成

それだけに傷つきやすく人間的なハートを持ったターミネーターだった。

死刑囚として服役していた青年に献体としてサイボーグ手術を施すところから物語りは始まる。やがて審判の日が訪れ核戦争後の機械人間と人類との戦争が繰り広げられていた2018年…

その時代成長してリーダーとなったジョンコナーはやがて過去に送り込む自分自身の父であるまだ幼きカイルを探していた

献体としてサイボーグとなった機械戦士は余りにも強靭な肉体を武器にめぐり合ったやがてジョンコナーの父となる少年を保護しジョンコナーの元に送り届けようとするが機械軍に拉致

主人公の機械戦士は恋愛感情もつれの女戦士と知り合ったり

命からがらジョンコナーの元にたどり着くが

彼が機械人間であることがばれなかなか仲間として受け容れてもらえず迫害を受ける

拉致されたカイルを別行動ながら機械軍の基地に侵入して協力して基地を破壊する

無事ジョンコナーの父となる少年も救出するが心臓に致命傷を負った指導者ジョンコナー

しかし主人公のターミネーターはかつて献体としてサイボーグ手術に自分の身体を捧げたのと同じように自分の生身に残る心臓をジョンコナーに移植してくれと捧げ死んでいく

人間と機械とを分ける条件は何か

物理的にどんな素材で身体が作られているかではなく

単に人間らしい心を持っているか

そんなテーマが伝わってきた

もの悲しい傑作だったPhoto

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2009年6月17日 (水)

広島市植物公園

梅雨入りというのに雨の気配全くなし

そんな晴れの今日 彼女と広島の植物公園行ってきました

広島駅から山陽本線で五日市まで、そこから広電バスで20分程度の行程

温室展示場内(写真)は整備されています

今の季節ベゴニアなど綺麗でした

カフェはログハウス調でセルフサービス

パスタセット980円はきのことミートソースが選べる

山道コースに入っていくと各所に休憩所があり

今の季節あじさいが見ものです

気持ちよい山道を一回りしてとにかく冷房のれの字もないけれど

爽やか気分満喫しましたDscf0798

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2009年6月 3日 (水)

最近買ったDVDから…

普通映画鑑賞というと映画館かDVDを利用する

気に入った映画なら何度でも観るという習慣があるのでレンタルは好まない…

さてGEOで物色して二本の中古DVDを買った

去年公開された「ジャンパー」

あのスターウォーズであまりにも薄幸であり不安定であるがゆえ過大に魅力を感じてしまったアナキンを演じていたヘイデン クリステンセン の新作である

それでまた感動したのは、アナキンと同じくとてつもなく不安定な精神状態の主人公を演じていたこと。

映画の主人公に限らず、迷い、戸惑い、とてつもなく不安定な人間に魅力を感じるというのは自身とオーバーラップさせているからだと思うが、平坦に何も悩まない人生ほどつまらないことは無いと感じるこの頃、やはり最終的に自己肯定になっているのかな…?

つまりこの映画、瞬時にどこえでも瞬間移動できる能力を持ってしまった人間が、常人でないがゆえに陥る自己過信と孤立感 それらにまつわる自己の感情すら制御できず能力と共に暴走状態に陥る不安定感 そしてそれを的確な方法で捕まえて処分している組織との死闘…ついでに主人公は家庭環境に恵まれず…本当に信頼の出来る父親のその価値にも気付かず父を失うという設定

もう一本は、ディズニーのアニメ 「アトランティス失われた帝国」

アニメといってもここ最近のものはハイテク化されているものが多く、アニメの手法は大きく二種類に分かれる

平面の紙に絵として書いていった動画を取り込んでデジタル処理するもの

最初からコンピューターの中に立体のオブジェクトとしてCGとして作ったデータをプログラミングで動かし芝居させるもの

この映画は両方の手法を使い分けた典型的な作品だった

ここ十数年ばかり日本のアニメに押され気味の世界のアニメ業界も日本のアニメのスタイルを意識しながら試行錯誤を繰り返しているのが分かる

ディズニーの伝統を重んじて敬意を払う必要があるが

どう観ても映像としてのクオリティは日本のアニメのほうがかなり先を行っている

古い伝統のアニメ的なキナ臭いところを感じたが美術は綺麗だった

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2009年5月27日 (水)

栗本薫 さん逝く

Angel_in_blue 今日の夕方のニュースはちょっとショックだった

一般的には「グインサーガ」シリーズで知られる 栗本薫さんが膵臓ガンのため亡くなられたとのこと

僕が栗本さんの作品を一番愛読していたのは十代の頃だった

SF狂の少年が、主に ハヤカワのSFマガジンを中心に、SF小説をむさぼり読んでいた

81年から連載が始まった レダ はまさに傑作だった

誰もが試験管ベビーとして誕生する時代、自然分娩による人間の誕生が一般的でなくなった遠未来、生殖能力の退化した人類によって構成された、未来都市、そこは管理された社会、社会不適合者や犯罪者さえもが市民として尊重されている

その社会は、遥か昔に採取された精子卵子に頼らなければ次なる世代が生み出されないいわゆる人類の終末を示唆した科学万能都市

そこで本来の人間としての性に目覚めつつある少年と その時代自然分娩で唯一生まれ何もかもが風変わりな少女レダ の物語

栗本さんのその後の作品にも興味深い作品はあった。

優しい接触 は、遥か未来

人類の起源すら定かでなくなった時代、宇宙に大きく進出した人類は、男だけの種族と、女性だけの種族に分かれ

本来同一に共存していた事実すら忘れ、異質な種族としてお互いに敵対心をもって銀河をまたぐ戦乱に明け暮れているというもの

グインサーガ伝は 栗本さんの代表作となる、

豹の頭をした無敵の戦士が、かつて高度な科学技術を持ちながらも衰退してしまった中世時代さながらの世界で 騎士 とか 魔法を取り巻く奇想天外なヒロイックファンタジー

栗本さんは決してSFやファンタジーばかりを書いていたわけではなかったが

個人的には 大原まり子 さんなども含め女流作家のSF作品はなめらかで読みやすいといった印象を持っていて、変に男性作家のSFは妙に設定を断定的に書くのに対して、女流作家のSFはイマジネーションにおいても固定感が無くとっつきやすく楽しめたのを印象している。

あと、これはコミックの世界だが 道原かつみ さんの数篇の短編SFコミックも似たようなティストで大好きでした。

これら作家が活躍したのは80年代に限られては居ないが

僕にとって80年代の記憶の断片はこれら作家にオーバーラップしている

でも

昔ばかり振り返っていても、そこで若さはとまってしまう

むしろ心がけてこれからの作家に注目していくよう心がけたい

それが僕の主義です

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2009年5月26日 (火)

作家「辺見庸」さんについて触れたこと

ブログサイト「とわずがたり」のほうを通じてとある作家について知るきっきっかけとなった。報道作家、ドキュメンタリー作家の方だ「辺見庸」さんというかただ。

いろいろなサイトで知識を仕入れようとしたが、youtubeで検索してみたら十本近い動画本数、分割されていて基本的に二本のドキュメンタリーにでくわした。

ひとつは血液の感染病の若者との親密な交流から

命の危機にあるその若者に深く理解をしめそうとするが、決して腫れ物に触れるようなことはしない、なぜ君の立場で運動やっていないのかと厳しい意見をぶつけていた。

辺見さんの底に隠した優しさはよくわかる、けれどとても人間として弾力のある険しい人だと感じた。

疾病を患っていらした辺見さんは決して病人の立場でものを言ったりしない、そのドキュメンタリーでは病気を自分のジャーナリズム追及の武器にまでしようといったどう猛さ、タフさ、気丈さが必要以上に伝わってきた。

もうひとつのドキュメンタリーは自死…つまり社会における自殺問題について単独で語られていた

象徴的だった冒頭の観覧車の比喩はなにか彼のこだわりを感じる。

彼はJRに乗っていたとき自殺者をはねた車両に乗り合わせていたことを感情深く語っていた

本にも触れていなく、予備知識もなく、突然、多分故人となっていらっしゃる一時代に足跡を残したジャーナリスト作家について、動画という形から入っていった

彼の視線は哲学者的だ、とても眼光が鋭く、ある程度のお年で疾病を患っていらしたあの時点の映像にも生命力を感じる

生きることで、彼は生きることを武器としていた

そう言いくくる表現で彼を印象付けた…

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2009年5月22日 (金)

小説「The Road」

ふと書店で手に取った。

帯にピューリッツアー賞受賞の傑作とあった

世界の終末の物語である

ただ、テーマはそういった静寂さ空しさより遥かに現実問題を突きつけている

SFでもなく ホラーでもなくテーマは善の意味である

無秩序となった世界で

善良な心を持ち続けることが正しいか否かだ

スピルバーグの「宇宙戦争」でも垣間見た問いかけがここでもされている

親切心 善良さ 思いやり こういったものは環境的に恵まれていてこそ成立するものだということ、無秩序となった世界でまず自分が生き残ることは善である

しかし思いやりはその妨げになる

普段日常で思ったりしなかったことだけによけいショッキングだった。

善とは曖昧なものだ

そして何が正しいのかといった真実はどこにもない

いいことをしたから天国にいけます

悪いことをしたら地獄に行きます

これってすごく恵まれた社会だけのルールなのだ…

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2009年5月13日 (水)

生き方改造指向

親しい人から、そういうとこ直してってよく言われる。

結局、人間死ぬまで バガボンド (放浪者)なのだと実感した

だからというわけではないが 同名のコミック (5月に30巻に到達 ファンですずっと読んでます)に魅かれる…

これまで生きてきて何をしただろう

多分さまよって辿り着いた答えも、見る人によっては間違いだらけに映るのだろう

よくよく考えると自分も側の人間に厳しい目を向けることもある

ただ、すべてを尊重しようとして結果的に全然そうなっていない

このまま日常であがきつづけて、不足分を補う努力ですり減らすより

今の自分に無理しないといってやりたくなった…

知人のブログに比べて、ここってかなり暗いなと思う

ぼやいているところもあるし…

基本的に硬派の自分の性格は、これじゃ硬いことしか書けてない

んでもって、直すってどういうことかというと無理しないこと必要

その上にプラス思考にこだわるような無理の仕方は一切しないでいいのだ

多分 ウジウジと暗がりでじめじめした生き方ってある意味必要だと思った

以前自分で詩を書いたときこんなフレーズを加えた

「落ち込むときは…とことん落ち込もう…一度はどっぷり沈まなきゃ…明るい場所には抜け出せないさ」とか

やっぱり日常で落ち込んだとき、励ましを受けるより、徹底的に落ち込んでその場に身を置くって次なる段階のエネルギーチャージに必要なんだって

それって最近気がついた自分なりの哲学です

善良さを例に挙げると

善良潔白を売りにしている人は

やはり自分の中で絶対正義だといった意識がある

だから当然周りに厳しかったり自分と対立している物を悪とみなしたりする

そんな善良さは悪よりたちが悪い

よほどのことはしてはいけないが

少々の悪いことはそれなりに必要

自分の中で悪だといった認識を持てば他人にも寛容になれよう

なにより罪悪意識を持つ人はおごり高ぶっていない

そんなの好きだ

中途半端さとか、自己の問題点があってこそ人間

自分も周りにそんな自分のそういった部分を包み隠さずあけっぴろげで居られたらと思う

これまでの人生

あまり私いい人ですといった風な態度の人より、問題ありそうな人にいい人が多かった

自分もあまり体裁にこだわらず

もっともっと自己改造の必要性を感じる

本当にいい人になりたいなとは思っています。

ここ数日 いろんなことがあって落ち込むことが多かった

だから、洗いざらい自分について考えた

だったらやっぱり落ち込んでしまった

多分、人の見てないところでいい行動が出来るのは立派な人なんだろうな

それ以外の項目に何一つ確証は持てなかった

でも人の居ないところでいいこと出来る人って

普段あまりいい人ぶってないしそんな風に見えてない人

そんなことぐらいは勉強しました…人生という塾で

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