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2009年5月26日 (火)

作家「辺見庸」さんについて触れたこと

ブログサイト「とわずがたり」のほうを通じてとある作家について知るきっきっかけとなった。報道作家、ドキュメンタリー作家の方だ「辺見庸」さんというかただ。

いろいろなサイトで知識を仕入れようとしたが、youtubeで検索してみたら十本近い動画本数、分割されていて基本的に二本のドキュメンタリーにでくわした。

ひとつは血液の感染病の若者との親密な交流から

命の危機にあるその若者に深く理解をしめそうとするが、決して腫れ物に触れるようなことはしない、なぜ君の立場で運動やっていないのかと厳しい意見をぶつけていた。

辺見さんの底に隠した優しさはよくわかる、けれどとても人間として弾力のある険しい人だと感じた。

疾病を患っていらした辺見さんは決して病人の立場でものを言ったりしない、そのドキュメンタリーでは病気を自分のジャーナリズム追及の武器にまでしようといったどう猛さ、タフさ、気丈さが必要以上に伝わってきた。

もうひとつのドキュメンタリーは自死…つまり社会における自殺問題について単独で語られていた

象徴的だった冒頭の観覧車の比喩はなにか彼のこだわりを感じる。

彼はJRに乗っていたとき自殺者をはねた車両に乗り合わせていたことを感情深く語っていた

本にも触れていなく、予備知識もなく、突然、多分故人となっていらっしゃる一時代に足跡を残したジャーナリスト作家について、動画という形から入っていった

彼の視線は哲学者的だ、とても眼光が鋭く、ある程度のお年で疾病を患っていらしたあの時点の映像にも生命力を感じる

生きることで、彼は生きることを武器としていた

そう言いくくる表現で彼を印象付けた…

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コメント

まず。辺見さんはどっこい今も、地に足をどっかとつけ、歩む速さは遅くはなったけど、病に伏し尚も病と共生しながら生きておられます。でも、「水の透視画法」を待ちわびると同時に、いつ 訃報が載ってしまうかと・・。

私が印象的だったのは、自死についての最後の方の話。飛び降り自殺しようとビルの屋上にいた人 対 下で見上げていた群れ。初めは「危ないから止めろ!」と叫んでいた下 の人たちが、屋上の彼が飛び降りる事を躊躇し始めてから、何と野次ったか。「(俺も?)時間が無いんだから、さっさとやれよ」

テレビでこの場面を見た時、震えが来た。いつから日本人はこんなになってしまったのか。それとも元々こういう民族なのか。おそろしくなりました。

辺見さんはあの通り、何びとにも屈せず その鋭い眼で見つめた事の本質をきっぱりと文にされます。それ故か 好きな人と嫌いな人、真っ二つに分かれる。書物のレビューやなんかで、氏の回復を願い、文筆活動再開を祝う人々がいた事を知りとても嬉しかった。

見た目は強面だけど、動物の大好きな人です。

投稿: たますけ | 2009年5月26日 (火) 22時16分

辺見 さん ご存命だったのですね。 事情が把握できていなかったとはいえ配慮に欠いた文面反省しています
それと共に 文筆活動の一日も早い再開を期待、お祈りしています。

事実を足という武器を活用して、その事柄について皆無な状況の人に文を通じて伝えていく、辺見さんは文化を作っている人…きっぱりと事実を掘り下げていく、そういった姿勢は多くのファンを作って当然と思います。
彼の文筆のジャンルが彼に架せた使命だと感じてしまいます。

投稿: hideakifuji | 2009年5月27日 (水) 17時11分

氏は今、携帯で打った文章をPCに転送して「書いている」そうです。不慣れな左手で。だから今回の「しのびよる・・」も、倒れる前の氏の著書に比べ、格段に「ひらがな」が多い。
更に、昔ほど回数は無いですが「講演」もしておられます。
TV放送の時は、「講演にも出かける」・・関西の会館が聴衆で一杯でした。

以前「他にもほしい本が・・」と言ったのは、氏の現場復帰作です。「自分自身への審問」。病に倒れ、自死をも考えたという氏が、何を 綴ったのか 知りたい。

TVの時、氏と同じく私も慄然としたのは、大恐慌期に多くの短歌を詠んだ「夢野久作」という作家の『猟奇歌』という歌。
その中に「白塗のトラックが街をヒタ走る
      何処までも 何処までも
      真っ赤になるまで。」という歌があるのです。
『あれ、っ?と僕は思う。秋葉原事件があったからでしょう、ある種の既視感のようなものがわくわけです。
人の表現能力、潜在意識みたいなものは、じつはこういう闇の部分というものをふくみもつものだとぼくはおもうのです。
ぼくは凡庸だから、
あまりそういう衝動はないけれども、じつは夢野久作のような天才にはそういうものがあったし・・・』

『ぼくは、じぶんのことを自覚的なPPJだとおもっています。P.P.J、つまり、パーフェクト・ポンコツ・ジイサン。
はっきりいって、本当にそうおもっている。』

ジャーナリストになるべくしてなった人、と確信しています。生ある限り、氏は自分の眼で見た事象についての思索を、世に発信し続けるでしょう。

    P.P.O(パーフェクト・ポンコツ・オバサン)より。

投稿: たますけ | 2009年5月27日 (水) 18時58分

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